刀剣伝承 / 焼けた吉光

鯰尾藤四郎
焼け残りの脇差

粟田口吉光の大脇差。一期一振と同じ鍛冶の手から生まれ、同じ大坂城で焼かれ、同じ職人に再刃された。茎の先が鯰の尾に似ていたから、鯰尾。名前は持ち主ではなく、刀身から付いた。

重要美術品
刀工
粟田口吉光
時代
鎌倉時代中期
刃長
約57.2cm
現在地
徳川美術館

吉光のもう一振り

このサイトに、吉光の刀がもう一振りある。一期一振。粟田口吉光が生涯でただ一振りだけ打った太刀。豊臣秀吉が最も愛した刀と伝わる。

鯰尾藤四郎は、その吉光の大脇差

粟田口吉光。京都・粟田口派の刀工。鎌倉時代中期。吉光の代表作は短刀が多い。短刀の名手と呼ばれた。その中で鯰尾藤四郎は刃長約57.2cm。脇差としても大振りな作。吉光には珍しい寸法の刀。

同じ鍛冶の手から生まれた2振りが、やがて同じ城に集まり、同じ炎で焼かれることになる。鍛冶場を出た時点では、誰もそんな運命を知らない。

史実メモ
  • 粟田口吉光: 鎌倉時代中期の刀工。京都・粟田口派。短刀の名手として知られ、「吉光の短刀」は古来珍重された
  • 一期一振: 吉光唯一の太刀。刃長68.8cm。御物(皇室所蔵)。豊臣秀吉が愛蔵し、大坂夏の陣で焼身後、越前康継が再刃
  • 「藤四郎」は吉光の通称。吉光作の刀には「〇〇藤四郎」の名物名が多く付けられている
  • 鯰尾藤四郎の銘は「吉光」。名物名「鯰尾藤四郎」

の尾

名前の由来は、持ち主ではない。

茎(なかご)——刀身の根元、柄に収まる部分——の先端が、鯰(なまず)の尾のように丸く収まっている。そこから「鯰尾」と呼ばれた。

刀の名前は、多くの場合、持ち主に由来する。観世正宗は観世家が持っていたから。義元左文字は今川義元が持っていたから。しかし鯰尾藤四郎は違う。刀身の形が名前になった。珍しい命名。

鯰の尾。地味な名前。華やかな来歴を持つ刀なのに、名前だけは刀身の形状を淡々と記述している。名付けた人物は分かっていない。

史実メモ
  • 茎(なかご): 刀身の柄に入る部分。銘はここに刻まれる。茎の形状は刀工や時代の特定に用いられる
  • 茎の先端形状には「栗尻」「剣形」「入山形」などの分類がある。「鯰尾」もその一種で、先端が丸く薄くなる形
  • 名物刀の命名パターンは大きく分けて「所持者由来」「特徴由来」「逸話由来」がある。鯰尾藤四郎は特徴由来

大坂城の炎

炎に包まれる大坂城
大坂夏の陣、落城の炎 ── イメージ

慶長20年(1615年)。大坂夏の陣

大坂城が燃えた。豊臣秀頼は死に、城は灰になった。

鯰尾藤四郎は秀頼のもとにあった。城とともに焼けた。刃は焼身し、本来の姿を失った。

同じ炎の中に、もう一振りの吉光がいた。一期一振。秀吉が最も愛した太刀。秀吉から秀頼に受け継がれ、大坂城にあった。

同じ鍛冶が打った2振りの刀が、同じ城で、同じ炎に焼かれた。一期一振は太刀、鯰尾藤四郎は脇差。格は違う。しかし炎は格を選ばない。

史実メモ
  • 大坂夏の陣: 慶長20年(1615年)5月。徳川家康が豊臣家を滅ぼした最終決戦。大坂城天守は炎上し落城
  • 豊臣秀頼(1593-1615): 秀吉の子。大坂夏の陣で自害。享年23
  • 焼身(やけみ): 火災により刀身の焼き入れが変質すること。刃文が消え、地鉄が荒れる。刀としての価値が著しく損なわれる
  • 大坂城の蔵には膨大な名物刀剣があったと伝わる。焼失・散逸したものも多い

康継の手、再び

焼身した刀の再刃
康継の工房 ── イメージ

焼け跡から救い出された鯰尾藤四郎は、初代越前康継のもとに送られた。

再刃。焼身した刀に、新たに焼き入れを施し、刃文を蘇らせる技術。元の刃文は戻らない。しかし刀としての機能は回復する。

康継は、一期一振も再刃している。同じ職人が、同じ炎で焼かれた同じ鍛冶の2振りを、それぞれ蘇らせた。

ただし、その後の扱いは分かれた。

一期一振は徳川将軍家の宝物となり、やがて御物(皇室所蔵)になった。天下人の太刀。格が違った。

鯰尾藤四郎は尾張徳川家に伝わった。将軍家ではなく、御三家の一つ。脇差という格。再刃という来歴。一期一振ほどの注目を集めることはなかった。

史実メモ
  • 初代越前康継(?-1621): 下坂鍛冶出身。徳川家康のお抱え刀工。「康」の字を賜り、葵紋を茎に切ることを許された
  • 再刃(さいば): 焼身した刀に再度焼き入れを行うこと。元の刃文は失われ、再刃者の刃文になる。刀剣鑑定では「再刃」は評価を下げる要素とされる
  • 一期一振の再刃も康継によるもの。享保名物帳にその記録がある
  • 尾張徳川家: 徳川御三家の筆頭。家康の九男・徳川義直を祖とする。名古屋城を居城とした

徳川美術館

鯰尾藤四郎は、名古屋の徳川美術館にいる。尾張徳川家の蔵刀として伝来し、今もここに収蔵されている。

同じ蔵に、物吉貞宗がある。徳川家康が関ヶ原の戦いをはじめ、持参するたびに勝利したと伝わる脇差。「勝ち戦の刀」。

鯰尾藤四郎は「焼け残りの刀」。大坂城の炎を生き延び、再刃されてここに辿り着いた。

同じ蔵の中で、全く違う意味を背負っている。物吉貞宗は勝利の記憶。鯰尾藤四郎は焼失と再生の記憶。どちらも尾張徳川家の宝物だが、纏っている空気が違う。

史実メモ
  • 徳川美術館: 名古屋市東区徳川町。1935年開館。尾張徳川家の大名道具を収蔵・公開する私立美術館
  • 物吉貞宗: 脇差。相州貞宗の作。重要文化財。家康が合戦に持参するたびに勝利したと伝わり「物吉」の名がついた
  • 鯰尾藤四郎は重要美術品(旧制度)に認定されている
  • 近年、刀剣ゲーム「刀剣乱舞」の影響で鯰尾藤四郎への関心が高まり、徳川美術館での展示時には多くの来場者を集めている

粟田口吉光の大脇差として生まれ、大坂城で焼かれ、越前康継に再刃され、尾張徳川家に伝わった。同じ鍛冶の一期一振は御物になり、鯰尾藤四郎は美術館に収まった。

同じ炎で焼かれ、同じ職人に蘇らされた2振り。片方は御物、片方は美術館。太刀と脇差。名前の格が、運命を分けた。

同じ鍛冶の2振りが、同じ炎で焼かれ、
同じ職人に蘇らされた。
片方は御物、片方は美術館。
名前の格が、運命を分けた。

主要参考資料
  • 徳川美術館 — 収蔵品(鯰尾藤四郎)
  • 『享保名物帳』
  • 文化庁 国指定文化財等データベース
  • 名古屋刀剣博物館(刀剣ワールド)— 鯰尾藤四郎

Web資料はいずれも2026年6月30日〜7月2日閲覧。諸説・伝承レベルの事柄は本文および史実メモで「〜と伝わる」「〜とされる」として区別しています。

吉光の2振り

吉光の2振り。一期一振は秀吉の最愛の太刀。鯰尾藤四郎は秀頼の脇差。親子2代が同じ鍛冶の刀を持ち、同じ城で失い、同じ職人に再刃された。もう一振りの運命を見るなら。

一期一振